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愛は流れ、そしてエネルギー

こんにちは〜

今日は9月9日、9が2つ重なる日で、中国では重陽と呼ばれるめでたい日。
数秘でも、「手放して信頼する」テーマがダブルに現れている意味深い日です。

そして、明日は満月、中秋の名月でもありますね🌕

さてさて、ちょっとばかり夏バテで、ブログ更新滞ってたら、催促のお声をいただきました。
うれしい悲鳴😂

しかしね、この世の情報の洪水を目の当たりして、めげてしまう私もいたのだ。

なにせこの世の、
「いろんなものをいかに欲しがらせて買わせるかっていう、いわゆるマーケティング」の声のうるさいこと、うるさいこと。

でもだからって、黙ってるっていうのも違うよね、これも誤解だなーって、気づかせてもらうことが重なって、感謝💕

私は私の語る必要のあることを語りたいように語ろう、と思うよ。世界がどうあろうと。

共鳴する人に、分かち合えることほど嬉しいことはないから。

そう、この世は波動で成り立ってて、
共振、共鳴の原理が働いていることを、じわじわ学んでるところ。

そう、今日はエネルギーについてのお話を。

私たちは無力だった幼い時代の体験から、加えて大人たちから聞かされてきた常識という思い込みから、この宇宙には愛もエネルギーも十分なくて、他の人からもらったり、奪ったりしないといけないってなんとなく思い込んでますよね。

でもそれって、本当だろうか?
それってただの思い込みかも・・
このことを問い直してみれば、すべてがひっくり返る。

私は今、瞑想の師であるOSHOの本の翻訳チームにいて、日々彼の言葉に触れる機会があるのだけど、そのなかで、ハッとさせられた言葉をシェアしますね。

そしてOSHOはいつでも私たちに、彼の言葉をうのみにしないで、実際に試してごらん、確かめてごらん、って言ってくれている。
そして自分で体験すれば、もうそれは私たち自身の理解となり、知恵になる、のだと。

「エネルギーはつねに、愛するものへと流れる。

だから、どこかでエネルギーが滞っているのを感じたら、それがエネルギーを流れさせる鍵になる。
愛するものを見つけるのだ。

なんでもかまわない。それは、口実にすぎない。
あなたが木にとても愛情深く触れたら、エネルギーは流れはじめる。どこであろうと、愛があるところへと、エネルギーは注がれるからだ。それは、水が低いところへ流れていくのと同じだ。
海がどこにあろうと、水は海面を探して動いていく。

どこであろうと、愛があるところへとエネルギーは「愛の海水面」を探し、動いていく。

深い愛と深い思いやりを込めて、石を手に取ってみなさい。目を閉じて、深い愛をその石に感じてみる。その石が存在しているのをありがたく思い、あなたの愛を受け容れてくれているのに感謝するのだ。

すると突如として、あなたは気づくだろう−−なにかが脈打ち、エネルギーが動いている、と。
そうなれば次第に、何かを手にする必要はなくなる、ほんとうだよ。

あなたがだれかを愛しているという想いだけで、エネルギーは流れる。そして、その考えすら捨ててしまえる。愛に満ちて在るだけで、エネルギーは流れる。

愛は流れだ。私たちが凍りついているときはいつでも、愛していないからそうなるのだ。

愛は暖かさだ。暖かさがあれば、凍りつくことはない。愛がそこになければ、すべてが冷たい。あなたは氷点下へと落ちていく」

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