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直感とは? by マンガラ

◎人生を光で満たす2023年「直感とつながり、ソースから生きる・パート1」4/8スタート 

◎今こそ読んでほしい! マンガラのエッセイを再掲しました

シックス・センスのない人はいない

シックス・センス(第六感)とは、いったい何でしょうか。特別な人だけが持つ不思議な能力で、自分には関係ない、と思い込んでいる人も多いかもしれません。

けれどもそれが、だれもが持っている五感と同じく、まったく自然な能力であったとしたら?
だれもが生まれつき持ってはいるが、いったいそれがどういうもので、どう使ったらいいのかが分からなくなっているだけだ、としたら?

しかしどうやら、それが本当のところのようです。私は長年このシックス・センス、第六感につながるためのワークショップをリードしていますが、いまだに第六感のない人に出会ったことはありません。もちろん普通の人は、評判の映画「シックス・センス」の男の子のように、うろつき回る死人を見る、ということはありませんが。

肉体と同じく、感情や思考のパターンは人それぞれで、第六感(私の好きな言葉で言えば「直感」ですが)も、人それぞれです。とはいえ、誰でも自分にとって自然な方法で、その能力を発達させることはできるのです。

なぜ、人は自分の直感とつながっていないのか

ならばなぜ、ほとんどの人は、本来あるはずの直感の力に、まったく、あるいはほんの少ししか気づいていないのでしょうか?

その答えは、私たちがまだごく小さなころに受けたしつけにあります。

人間のマインドはコンピューターのようなもので、それが働くためには、ソフトウエアが必要です。このソフトが、子ども時代のプログラミング、条件づけと呼ばれているものです。私たちは生まれ落ちたときから、自分が生まれついた社会や家族の価値観に従って行動するようにしつけられ、行儀作法として、よい悪いという判断をたたき込まれます。さらに子供が周りの大人をまねることで身につけるものもあります。子供のマインドはまっさらで空っぽなので、ものすごく大量の情報を、まるでスポンジが水を吸い込むようにすばやく吸収します。すべての経験はマインドに刻印づけられ、すべての出来事が跡を残します。

このこと自体は、問題ではありません。

ただ、ほとんどの社会は、私たちに自分の判断、経験の純粋さを信頼しないよう教え込みもするのです。

こうしたプログラミングに乗っ取られる前には、子どもは周りにあるものに直接触れ、周りとつながっています。子どもは、感情やマインドのフィルターなしに、物事をありのままに見ているのです。こうした子どもの素直さや無邪気なあり方は、私たちを喜ばせ、感動させます。ありのままに世界を受けとめて感応する、このつながりの声こそが「直感」なのです。

子どもがこの結びつきを失ってしまう理由はただ一つ、その方が安全で楽だから。子どものころの私たちは無力で、他人を必要としていました。傷つかないため、愛と注目を得るために、自分自身を信じるよりも他人に従った方がいい、ということを学んできたのです。

私たちにとって何よりも大事だったのは、まずは人並みになる、そして人より優れる、何であれ、人から認められるということでした。
そして私たちは次第に自分の直感、内面の感覚を、身の保全と安心感のために売り渡してしまうのです。

こうした取引によって、私たちはとても貴重なものを失います。

それを自分からあっさりと手放す人もいれば、あくまで反抗し、抵抗し、自分の真実に固執し続ける人もいます。けれどもほとんどすべての人たちは、結局はあきらめざるをえません。外からの圧力があまりに強く、危険になるため、ほとんどいつも、譲歩せざるをえなくなるのです。

このプロセスは、学校教育を通じて、家庭から社会へと拡大していきます。私たちは学校の環境に順応させられるだけでなく、何年も何年も、ほとんど意味のない膨大な情報によって苦しめられ、自分の価値は、その情報をいかにたくみに覚えるかにかかっていると教わるのです。こうした死んだ知識を扱うのにたけていればちやほやされるし、うまくできなければ、まるで自分がダメな人間であるかのように感じさせられる、というわけです。

事実はこうですから、学校教育を終えるずっと前に、私たちが自分の真実とのつながりを失ってしまっても、驚くには値しないでしょう。

より原始的で、素朴な文化においては、人々は自然に内なる感覚を保っていますが、社会が高度になり、構造化されればされるほど、こういったプロセスは、より強力に、完璧になります。

そして日本はおそらく、もっとも強固な社会構造を持った国の一つです。

☆今までのパターンを脇に置こうと決めた瞬間、もう直感はそこにある

けれども、直感とのつながりをなくしたからといって、がっかりする必要はありません。考え、感じる能力がなくなることはないように、それはただ、マインドのパターンの背後に隠れているだけなのです。今までのパターンを脇に置こうと決めた瞬間、もう直感はそこにあります。

けれども、それは危険だと感じられるかもしれません。だからこそ、そもそも私たちはそれを脇に追いやってしまったのですから。内なる声が、私たちの信念にそわないことを言うこともあるでしょう。私たちのなかの条件づけされた信念は、自分が正しい、よい人間だと思うことで、身の安全を保つよう働き続けるのです。

にもかかわらず私たちは、自分の人生には何かが欠けていると感じ始めます。自分につながっていないので、いったい何が欲しいのか、どこへ行きたいのかも分からない。

その感覚は、物事が思うように運ばない、あるいは悪あがきをしているような感じかもしれません。あるいは、すべてが空しいという感じかもしれません。

何であっても、まずはそれをそれと認めることから、本質的なことが始まっていきます。いったいどうしたらいいのでしょうか。

まず必要なのは、直感は存在するし、実際に自分がそういう能力を持っていると信頼すること。

この信頼がなくては、こんなことはばかげているとか、どうせうまくいきっこない、という思い込みが邪魔をしてしまうでしょう。

そして次のステップは、直感が持っている香りや感触、手触りといったものを見分けること。

あなたにふさわしい方法を見分け、それになじむためにも、グループでのトレーニングはとても役に立ちます。ワークショップの状況では、論理的なマインドを脇にどけて信頼するのがずっと簡単ですから。

そこでは、合理的なマインドから距離を取るために、さまざまな瞑想テクニックを試します。そして、何が起こっているのか判断しようのない状況、つまりマインドが意見や欲望を投影できない状況を設定し、さまざまなエクササイズをしていきます。

そこでほとんどの人は、直感はいつもあったけれど、それに気づいていなかっただけだったという事実を知って驚くと同時に、大きな力づけを得ます。

直感につながればつながるほど、私たちは存在の流れの中に自分を見出す

そして、直感につながればつながるほど、私たちは大いなる存在の流れの中の自分を見出すようになります。直感の声は、私たち一人一人の内にある、存在からの呼び声なのですから。その声にしたがって動くとき、私たちは正しい時に正しい場所にいるという確かな感覚を手にすることができます。

論理的なマインドにしたがうときには、葛藤や疑いをまぬがれることはできませんが、直感の声は、生命の流れを信頼し、その中へとくつろぐスペースへと私たちをいざないます。そして自分と周りで起こっていることとの間に、深い調和と一体感とを感じることでしょう。

それこそ、じつは私たちが心の奥底でつねに求めてやまないことなのです。

2023年「直感とつながり、ソースから生きる・パート1」4/8〜土日午前5回シリーズ開催です!

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