自己責任 — 変容への鍵

「ハートの声を聞く」とは「自分の感じている真実に責任をとる」こと

☆人を責めず、罪悪感を持たず、期待も妥協もなしに生きる

自己責任という言葉には、人生におけるもっとも重要な、深いレッスンが含まれています。それは、人生のさまざまな場面において、私たちの行動の本質的な変容の鍵を握っています。

自己責任とは、人を責めず、また罪悪感を持たず、期待も妥協もなしに生きることです。

正しいことをする、良い人であろうとしたり、その場の調和を保とうとしたり、すべきだからという理由で何かをしようとする、そんな生き方に別れを告げるのです。

実際、こうした動機は、私たちの人生のほとんどを支配しています。けれども自己責任とは、教わったとおりではなく、自分自身の真実に基づいて、自分自身のハートにしたがって生きることなのです。

そんなことをしたら、みんなが好き勝手を始めて、人のことにかまわなくなるんじゃないか、世界中が、秩序も何もない、メチャクチャな混沌状態になるんじゃないかという恐怖は、たしかにあるでしょう。この恐怖ゆえに、社会は私たちに、正しく行動することはとても重要で、世間に認められている基準にしたがって生き、良い人として行動することで、しかるべき報酬を受け取ることができるのだと教えているのです。

数秘は、国や町でも、名前から導き出される数からその土地のエネルギーを教えてくれますが、それによれば日本は、まさに無条件に愛し与えること、ハートの真実に責任を取るというエネルギーを持っている国です。

これは、今回のテーマすべてをカバーしていると言えるでしょう。

☆信念体系のルーツ

私たちは生まれ落ちたときから、どうふるまうべきかを親や周りの人から学んでいきます。それも、喜んで、すぐに、です。そうすることで、自分の欲求や欲望を満たすことができるのですから。それはまさに、サバイバルの(生き残りを賭けた)問題です。世話をしてくれている人を喜ばせなければ、愛や食べ物、生きるのに必要なものを得られないかもしれないのです。そしてそこで身についた行動様式は、大人になっても続いていきます。

認められたい、愛されたい、あるいはアイスクリームが欲しい、欲望の対象は何でもかまいません。世間や家庭にふさわしい、認められた行動のプログラムは、私たちの安全を保つための基本なのです。

とくに、日本のような社会では、人から「浮く」こと、「つまはじき」にされることは、とても大きな恐怖です。人と同じでなくては、という大きな無言のプレッシャーがある。認められた基準にしたがって行動すべきだというプレッシャーです。

みんなが自分をわきまえ、どうふるまうべきかを心得ている状態は、社会が秩序を保ち、円滑に機能するためには、良いことですが、自分を知り、敬うという点から見れば致命的でしょう。

そうして初めて、私たちは本当の自分を発見し、個としての自己へと成長していけるのですから。

社会の歯車のひとつであることに満足している間は、承認され、適応することが最優先事項であっても、問題はありません。しかし、それでは十分ではなくなる時がやってきます。

内なる存在が自然な進化をとげる過程で、制限され、条件づけられた生き方に不満を感じたとき、自己責任の課題が頭をもたげ始めるのです。

それは決意というよりは、必然的に起こってくることです。本当の想いにチューニングを合わせ、自分のハートの声に耳を傾け始めると、深い真実に基づいた行動をしないときに現れてくるネガティブなフィーリングを無視できなくなっていくのです。

そんなとき、条件づけされたマインドは、すべきだと思うことをするのに気が進まず、恨みや怒りを感じてしまう自分を受け入れられず、自分が悪いに違いないとささやきます。そうなると、私たちは罪の意識から、そうしたフィーリングを抑圧し、こうすべきだと考えるやり方で行動しようと、自分をむち打ったりもするでしょう。

これは不愉快な地点、人生において選択を強いられる地点です。たくさんの日本の人が今、こんな状況に直面しているのです。

☆自分を悪者にするか…

肉体的な病気の大半は、感情を抑圧することから生じます。感情はエネルギーであり、それはどこかへ向かわざるをえません。もし感じることを拒めば、それは不自然なかたちで肉体に押し込められ、病気をもたらすことにもなります。

だからこそ大きな病気は、それを活用するならば、成長のためのすばらしい機会になりうるのです。からだの症状が、マインドの条件づけされた観念よりも深いものに責任を取るよう、私たちに強いるのです。

とはいえ成長のために、いつもこうした辛くて大きな代償を払う必要はありません。入院する前でも、起こっているプロセスをつかまえる知性と気づきを持つことは可能なのですから。

次にやってくるのは、実際に感情を感じ、そして感じたことで自分を責めるという状態です。これは、ほとんどの人がつねにしていることでもあります。条件づけられたマインドは絶え間なく、こんなことを感じるべきではない、良いと教えられた感情だけを持つべきだとささやき続け、自分を悪者にしてしまう。悪い息子や娘、悪い親、悪い夫や妻、悪い友達、悪い部下など、あげればきりがありませんが、何であろうと、マインドが許容する以外の感情を感じれば、自分は下劣なヤツだと判断し、罪の意識を持ち、自分を責め、それを埋め合わせようと、さらに一生懸命に良い存在になろうと努力するのです。

けれども、こうした動機による「愛に満ちた」行動や行為は、ハートの真実からのものではありません。つねにぎこちなさが残る、無理強いされた行為なのです。義務や責任感から、すべきだと思うことをするにしても、すべては自分を悪く感じたくないためなのです。

そんな義務感からの好意を受け取ったことが、あなたにもきっとあるでしょう。それはなかなか素直に受けとれないものです。罪悪感は私たちを過去にしばりつける大きな要因で、私たちが本当に感じていることに責任を取らないですませる、楽な逃げ道でもあるのです。

☆あるいは、人を責めるか…

こうした進化の段階において、人を責めることもあるでしょう。自分の代わりに、人を悪者にし、すべきことをしてくれないから自分は怒っている、気分が悪いのはあの人のせいだ、あんなことをされたからだ、というのです。もっとも一般的なのは、人が自分の期待を満たしてくれなかったということでしょう。この戦略は往々にして、独善的な考えが伴うことがよくあります。自分はすべきことをしている良い伴侶や親、良い部下なのに、相手は自分を認めてくれない、見返りをくれない、というように。

しかし、もう少し深く見てみれば、自分の良いふるまいや行為は、契約に基づいたものだと分かってくるでしょう。もしあなたが良い夫で、私の思いどおりにふるまってくれれば、私も良い妻でいましょうということなのです。あるいは、思いやりをもって優しく接してもらいたいから、あなたに優しくしましょうということもあるでしょう。この種の良い行動には、必ず落とし穴があります。それは期待であり、欲望であって、クリーンな、無条件のものではありません。何かを返してもらいたがっているのです。そして期待が満たされなければ、相手を責めることになる。私は正しいことをしたから、今度はあなたもそうすべきだ、契約を果たすべきだというのです。

☆愛に満ちた「行動」は愛ではない

ほとんどの関係性は、こうした糸によって織られ、愛を疎外しています。私たちは、愛に満ちた行動をすれば、愛に満ちた存在になれると思いがちですが、それは本当ではありません。愛に満ちた行動は、あくまでも「行動」であって、身につけた演技で、愛とは関係ないのです。子どものころに身に着けた、自分を安全に保ち、欲しいものを手に入れるための行動様式を続けているだけで、その行動は思考によるものです。ほんとうに愛に満ちるためには、ハートの声を聞く必要があるのです。

☆ハートの声を聞くとは

日常生活において、これは実際、何を意味するのでしょうか?

基本的には、頭からハートに移るということ、身についた安全な行動から、真実を生きる危険のなかへと移っていくということです。

それは実際、危険なことに思われるので、ほとんどの人は、そうせざるをえなくなるまでそうしようとしません。今まで、善良で、愛に満ちた人でいようとがんばってきたのが、苦しくて、もう続けられないという地点に至るのです。

まさに罪悪感と怒りの板ばさみです。もしすべきことをしなければ罪悪感を感じるし、すれば怒りになる、そして期待したものが得られなければ、人を責めることになる。こうした地点では反動を起こして、もう誰にも何も与えまいと決意することもあるでしょう。

というのも、誰も感謝してくれないし、見返りに何も得られない、いったい何の意味があるのか、というわけです。けれども怒りからハートを閉ざせば、苦々しい、愛のない人生を送ることになるでしょう。

この地点において、自己責任の課題に直面することになるのです。

そのための第一歩は、誰も自分の期待を満たす義務はない、という単純な真実を認めること。

それは、自分の問題なのです。もし注意深く見てみれば、どれほどの期待が、ありのままの現実を見えなくしているか、気づくことでしょう。期待したものと、実際に得るもの、起こることのあいだには必ずギャップがあります。それは必然で、たんなる事実です。期待は、頭の中の観念にすぎません。期待があればあるほど、あるがままの存在を見て、感謝することがむずかしくなります。ほとんどの場合、期待は満たされずに、気分を害することになるのです。

このことが分かれば、期待や見返りなしに与え、愛するという意味を見始めることになります。

これは、自分のことを考慮に入れないマザー・テレサのような人になるということではありません。たぐいまれな魂にとっては、それは真実の生き方でしょうが、大多数の人たちにとっては、殉教者という役割を自分に押しつけ、エゴを満たそうとする、古い生き方のくり返しにすぎないでしょう。

そうではなく、すべき、すべきでないという観念を脇にどけて、自分のハートにある真実を見つめ、無条件に、どんな見返りも期待せずに、そこから与えたり、分かち合ったりする用意をするということ。そして、その結果に責任を取る準備をするということなのです。

☆自己責任と無責任

よく誤解されますが、他人や、結果を考慮しないで好きなことをするのは、自己責任ではなく、無責任です。そうではなく、他人に対する影響や、その結果も十分意識しつつ、自分にとっての真実を見極めるのです。

例をあげてみましょう。

ある週末、妹が引越すことになり、あなたはその手伝いをすると約束をしたとしましょう。ところが数日前になって、同じ日に、あなたが何年も前からやりたいと思っていたことに誘われたとしましょう。めったにはないチャンスです。もし約束をしたからという理由だけで引越を手伝えば、おそらく、本当にしたいことは別にあったのに、という思いにさいなまれるでしょう。手伝うとは名目ばかりで、不機嫌で、うわの空でそこにいることになるでしょう。そして心のどこかで、自分が払った犠牲に対し、妹に念入りに感謝してもらいたがるでしょう。

妹は妹で、あなたが実は来たいわけではなかったと察しないわけにはいかず、たぶん心からありがたいとは思えないでしょう。こんな場合には、ふたりの関係にひびが入るような、長く尾を引くような悪感情を持つことになりかねません。

その代わり、ただ手伝う約束を破って、自分のしたいことをしたとすれば、罪の意識に悩まされ、妹のことが気になって、自分のしていることを楽しめないでしょう。そしてあなたが後ろめたく感じているので、妹は間違いなくあなたのしたことを責めるでしょう。罪悪感と非難はコインの裏表、一つのエネルギーの両極なのです。

この膠着(こうちゃく)状態から抜け出す唯一の方法が、自己責任です。自分にとっての真実を見て取り、その結果に全面的に責任を取るですあなたは結局、自分のしたかったことを選ぶかもしれません。けれども、その選択は妹の気に入らないだろう、腹を立てるのも無理はないということを視野に含めつつ、そうするのです。今後はこちらが何かを頼んでも、約束を守ってもらえないかもしれない。そうしたことを見据えつつも、これがこの状況での自分の正直な気持ちだと認めるのです。この場合には、罪悪感はありません。

そしてあなたがクリアな状態で状況を説明すれば、妹はやはり気に食わないでしょうが、あなたにとっての真実を受け入れられるかもしれません。

あるいは、あなたはこうした結果を考慮したあとで、約束どおり彼女の手伝いをすると決めるかもしれません。そこには、怒りも期待もないでしょう。ですから、あなたはどちらを選ぼうとも、クリーンでクリアなエネルギーで選択するのです。それこそ、自己責任がもたらしてくれる成果です。

こうして見てみると、ことはとてもシンプルに見えますが、実際の人生で実行するのはそれほど楽ではありません。果たして自分がしたいと思っているのか、あるいはすべきだと思っているのか、見分けることが困難な場合が多々あるのです。私たちは、自分の願望や真実を知っている部分との結びつきをなくしてしまっているのです。

こんな場合に、どうしたら自分に責任を取ることができるでしょうか?

そのために、タロットや数秘は計り知れない価値を持ちます。

数秘は、自分がどのような行動をしがちかを理解するのを助けてくれます。そして人生のどの分野で、あるいはどの時期に、この自己責任のテーマが大きな影響を持つのかを教えてくれるのです。それは、自分が誰で、今、どんなところにいるのか、また、ある特定の時期に、どんな学びの状況や環境へと引きつけられていくかを教えてくれる地図のようなものです。

☆タロットと自己認識

そしてタロットは、自己認識を促してくれる、もっとも貴重なツールと言えるでしょう。

タロットカードは意識のツールとして正しく使うならば、マインドにある表面的な保全のパターンの奥にある、さらに深いものを見るためのテクニックを提供してくれます。自分の真実と結びつく手段を与えてくれるのです。

先ほど述べた例について言えば、罪悪感と義務感からやってくる混乱した状態からすばやく抜け出して、自分が本当に望んでいることが何で、そこからどんな結果が現れてくるのかを見て取り、クリアな選択をすることが可能になります。不安や動揺や、他人との関係を台無しにする危険を避けることもできるのです。

これらのツールは、頭の条件づけされたプログラムから、ハートの真実へ動いていく道の上での、個人的なガイドのようなものなのです。

そしてタロットは、私たちに見る用意のできていないことや実行できないことを見せることはありません。それは、あなたはこうすべきだと告げる、外の権威の声ではなく、何が自分にとっての真実なのかをすでに知っている、自分自身の意識の深い部分につながるための手段なのです。

とはいえ、こうしたことは、一度にすべてが分かるというものではありません。たいていの場合、これは一生の学びなのです。けれども、いったん問題を認め、この方向に意識的に進み始めれば、こうした生き方の成果は、すぐに実感できるでしょう。

そして人間関係も、まったく違ったかたちで機能し始めることでしょう。ある状況や人は離れていくかもしれませんが、真実に基づいた新しい状況や人が引き寄せられてくるでしょう。そしてこのフィーリングを味わえば味わうほど、それがもっと欲しくなるでしょう。

そして、本当に大切だったのはこのことだった、自分はこのために生まれてきたということが、ますます分かっていくでしょう。

こうした認識が、自分に責任を取るという、果てしない道をさらに歩んでいくための勇気を与えてくれるはずです。

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