マンガラ旅立ちました。

その後イギリスの自然療法医のサプリメント治療を受けながら、
そこでドイツのケルンにある化学療法と自然療法を統合した病院を紹介され、最先端の癌治療を始めました。
半年に渡る集中治療の後、肝臓癌を抑え込むことに成功しましたが、
今度は癌が肺に移転していることが判明。
それでも新たな気持ちで再び癌に立ち向かい治療を続ける姿は本当に勇気を与えてくれるものでした。
ケルンではマンガラのフラットから歩いて数分のところに大きなOSHOの瞑想センター、オーガニックスーパー、緑の公園、おしゃれなショッピング通りもあり、多くの友人や瞑想のスペースに恵まれてとても快適に暮らしている様子でした。
6月にはギリシャのコーフ島で、病気や治療の世界から離れて、海に囲まれた自然の中ですっかりホリデーを楽しみ日焼けして、9月、プーナで2週間荷物整理をしてドイツに戻った3日後、フランクフルトでの抗がん剤治療の後から急激に体調が悪化したそうです。
ケルンで入院した後、本人の意向でイギリスのマン島に移動、それから3日目に、大きな空と木々と花が窓から見える鳥たちのさえずりが聞こえる病院の一室で、愛する家族と友人に囲まれて静かに平安に肉体を離れました。
今ごろは、苦痛から解き放たれ、広々とした大空をやすやすと旅していることでしょう。。。
フェイスブックのコミュニティにも、世界中から追悼の書き込みがなされ、
彼女がどれほど大きな存在だったかを物語っています。
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日本にはとくに縁が深く、日本人の繊細さと感性の豊かさをとても愛していました。毎年、世界中のどの国よりも長く滞在し、ここでワークをしてくれていたマンガラ。
10年あまりオーガナイズに携わってきた私にとっては、肉親以上に近しい存在で、厳しいと同時に心優しい師であり、かけがえのないパートナーでした。
長い年月の間には、意見の相違も、感情的なアップダウンも、ぶつかることも多々ありましたが、ともに人類の意識の目覚めをもくろむ、魂の同志でもありました。
彼女が荼毘にふされたのは、奇しくも毎年欠かさずお祝いをしてくれていた、私の誕生日でした。
近しい人のみのデス・セレブレーションは、地元の小さな教会で、OSHOとラマナ・マハリシの大きな写真、たくさんのキャンドルとお花に囲まれて行われ、
マンガラのお気に入りのアフリカンソングと、インドのマントラソング、世界中からの愛に満ちたメッセージ、最後にはルイ・アームストロングの「この素晴らしい世界」に見送られ、
いつもは曇りがちなイギリスの空も、前日の嵐のあと、穏やかな晴れだったそうです。
ご縁のあった方々、さまざまな形でサポートしていただいた方々、本当にありがとうございました。
今までワークやセッションを受けられたたくさんの方々のこころの中に蒔かれた種が、どうか大きく育ち、花開きますように―
そして彼女の残してくれたすばらしい贈り物とそのスピリットが、さらに多くの人たちに気づきと勇気を与えていきますように- (アジータ)


